由緒・御祭神
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厄除方位除の開運導きの神様
当神社は第51代平城天皇の御代、大同二年(807年)四月十日、藤原鎌足十代の後裔飛鳥井刑部卿院旨の命により地方の開拓司として当地に居住し、開拓守護神として磐裂・根裂神の神様を児山の郷の乾の方に祀ったのが始まりと伝えられております。
また、一説には康和元年(1099年)に飛鳥井刑部卿がこの地に社を祀ると在りますが定かではありません。乾元元年(1302)には宇都宮公剛公の後裔児山三郎左エ門朝行守が当地に築城し、武運・開運の守護神として香取神宮より経津主神を勧請し合祀したと伝えられています。
以来、開運・武運の守護社として祈願する人たちで賑わい、城主も信仰の念篤く城の守護神と致しました。
享保14年(1729年)2月16日には、宗源宣旨により正一位の神位を賜り、崇高なる神社として今に至ります。